残ったのは参加してよかったという充実感
とにかく楽しくてしょうがない3か月間だった。
均質な大学での交友関係と、世間知らずな自分自身に危機感を覚え、「ホーム」でない学びの場を求めて文明塾の門を叩いた。
振り返ってみれば、面接から修了式まですべての時間が期待以上に濃密で、学び多き3か月だった。ただ新しい世界を知るだけでなく、モヤモヤの正体を徹底的に考え抜き、同期の仲間や講師の方と議論を尽くした思考の整理と再統合を通じ、毎回新たな発見と学びがあったことがその理由だ。確かに、週2回のプログラム参加と毎回の予習復習課題、グループワークへの参加は大変な時期もあったが、すべてのプログラムを修了した今残るのは、参加してよかったと心から思える充実感である。
フラットな「対話と議論」の場が学びの源泉
超一流の経営者から現役のオリンピアンまで、選りすぐりの講師の方々による毎回のお話はどれも刺激的なものであった。ただ、講演自体は文明塾のプログラムの魅力の半分にも満たない。時間にして半分以上を占める、講演後の「対話と議論」の時間こそが講演の学びを何倍にもしてくれる貴重な時間であった。
青二才の学生の意見であろうとも、主張に真っ向から反対する意見であろうとも、講師の方々は1つ1つの質問に対等な目線で向き合ってくれた。講師も塾生も常に本気で向き合っているからこそ実現された、「半学半教」の理想的な学びの空間であった。
初めの頃こそ、新しい環境で存在価値を発揮しなければと焦り、意気込みが空回りすることもあった。
しかし、プログラム内外での塾生同士の対話、SNS「縁」でのコミュニケーション、プログラム外での懇親会や別のイベントへの参加などを通じて、同期の方々の人柄に触れるうちに、自分一人で全てをやり切ろうとしなくてもいいのでは、と思えるようになった。
素晴らしい講演はいくらでもオンラインで見られるこの時代に、文明塾の仲間はわざわざ足を運んで自ら機会を創り出そうとする「稀有な人々」である。そうした仲間と共有する時間や空間にこそ大きな意味がある。そんなことが実感できる場であった。
実際、自身のモヤモヤが仲間の発言によってクリアに言語化されること、全く異なる視点からの発言に視野の狭さにハッとさせられることが何度もあった。
共に学ぶ仲間を信頼し、自然体でプログラムに臨めるようになったことは3カ月の間での大きな変化であった。
「不羈独立の気概」をもって
文明塾での学びの多くは「不羈独立の気概」という言葉に集約される。これは、プログラム開始前に読んだ福澤諭吉の言葉だ。同じ言葉であっても、3か月前とはプログラム修了後の今では感じ方が大きく異なる。
不羈独立とは、多くの人が信じるようなわかりやすい基準に縛られることなく、自らの根幹にある軸となる考え方を貫くような生き方を指すと私は解釈している。それは、常識を疑い、自らの頭で考えたことを信じる生き方だ。
3か月前の私は、不羈独立に生きることは孤独な生き方であると考えていた。
しかし、志を同じくする仲間がいることを知った今、不羈独立な生き方は必ずしも孤独一辺倒な道のりではないと思える。
3か月間の学びをもとに、これから何を学び、何を行うかこそが文明塾の価値である。
不羈独立の人生を歩もうとする私自身、そして文明塾16期のこれからに期待してほしい。
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Vol. 20「自分が変わらなければいけない」
第15期修了生: 朝田 なお(大学生) -
Vol. 19「人の違いを認め,活かすことの楽しさ,意義を体感しました」
第14期修了生: 一瀬 康平(会社員)
※ 福澤文明塾生の所属は、原稿作成時のものです。
※ 講師のプロフィールは、プログラム開催当時のものです。