消化不良だった3ヶ月
元々、60歳になったら大学院に行きたいと考えていました。しかしながら、東日本大震災後、学会の研究成果を社会に還元していこうという意思の無さに幻滅、自分が仕事を通じて得てきた知識を社会に残していくためには何をすべきだろうと考えていた時に友人を通じて福澤文明塾を知りました。リーダーという言葉に魅力を感じたわけではなく、言葉を伝えるために何かをつかめるのではないかというのが入塾の動機。至って不純です。
しかも、残念なことに私にとっての文明塾3カ月間は消化不良、やり切れなかったの一言に尽きます。限られた時間内に多くのプログラムをこなすのですから、仕方ないと言えば仕方ないものの、常に物足りない感。グループワークでは日常の仕事のように自分が前に出てはいけないと自己規制をしてしまい、もやもやの残る結果に。
しかし、今、振り返ってみるとそれが私にとっては良かった。散々な結果だっただけに反省すべき点が多かったからです。あの時できなかったことを、これからやってみようじゃないか。修了後の私の意識の中にはいつもどこかにその思いがあります。
たとえば、グループワークを始める際に言われた「個人の財産を生かす」ことができなかった反省。だったら、これからは自分の知識、ネットワークをできるだけ人に使ってもらおう。対話と議論の時間が短く、物足りなかったセッションは後追いで本を読み、自問自答を繰り返すことで理解を深めよう。外形だけしか理解できなかったコーチングや交渉学の方法を日常のやりとりの中で試してみよう。
それでも必要だったと思える3ヶ月
そんな繰り返しで、修了後1年余。声を張り上げずとも主張に耳を傾けてもらえる機会が増えたのはその成果かもしれません。勝手に引き合わせた人たちが新しい企てをしていると聞くことも増えました。自分の中に研究という形の蓄積を作るより、自分が持っている蓄積を外の役に立てる時期が来ている。文明塾での反省が気づかせてくれたことです。
もうひとつ、自分自身を大きく変えてくれたのは同期からの評価です。以前の私は自己評価が至って低く、外からの評価とのギャップに悩んでいました。和を以て尊しとするそれまでの環境にあって空気を読まない、我が道を行く人間は異質とされたからですが、そんな私に同期は修了式でバカモノ大賞を贈ってくれました。人間の多様さをそのままに受け入れてくれる同期のおかげで、私は長年の悩みから解放されました。このまま、変なヤツでOK。安心した一瞬でした。
人はある瞬間に大きく変わることもありますし、少しずつしか変わらない部分もありますが、幸いなことに私は文明塾でどちらをも経験しました。そして、自分が変わることで多少なりとも社会を変えられるという経験も。参加していた時には納得いかなかった時間が今になって必要な時間だったと思えます。
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Vol. 14「新鮮な“大局観”をもつこと」
第9期修了生: 入江 一光(会社役員) -
Vol. 13「53人の『学友』がいたから」
第7期修了生: 山本 悠理(大学生)
※ 福澤文明塾生の所属は、原稿作成時のものです。
※ 講師のプロフィールは、プログラム開催当時のものです。