福澤文明塾生の声

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「53人の『学友』がいたから 第7期修了生  山本悠理(大学生)

「君は周りの人間を委縮させる。そういう生徒を、私は持ちたくない」六本木は毛利庭園の側を抜け、帰りのバス停へと向かう途中。私はつい先ほど言われた言葉を頭の中で反復していました。  私と福澤文明塾との関わりを考える際には、7期が始まる少し前、まだ寒さが残る3月終わりの、この一場面まで振り返らなければなりません。慶應の法学部では、3年生へ上がる直前、ゼミに入る為の試験を受けます。私は、その試験に立て続けに4つ落ちたのです。思い当たる落ち度などありませんでした。理由が、知りたい。そしてその内のある教授と面会した際に言われたのが冒頭の言葉でした。それは、これまで「正しい」意見を「積極的に」発言することが絶対の価値観だった私にとっての挫折でした。

学生社会人相互の尊重と、智のつばぜり合い

平成24年4月14日、福澤文明塾コア・プログラム第7期が幕を開けます。「象牙の塔にいる自分が、社会人とどれだけ渡り合えるか」と力試しのつもりで(そして勿論、圧勝するつもりで)参加したプログラム。私の頑なな姿勢は、入塾式の初めにいきなり揺らぐこととなります。「ここは対話と議論をする場です。対話の出来ない人間は、この場に要りません」……もう「お呼びでない」存在になるのは厭だ。私にとって福澤文明塾は、自分が「対話の人間」になれるかどうかの、切実な闘いの場となりました。

私は、幸運でした。その闘いの場には、遠慮も虚飾もなかったのです。セッションでもグループワークでも、悩み考えたことを素直に発表し、それに対して真剣に応じる。それぞれの背景を持った53人の学生社会人相互の尊重と、智のつばぜり合いがありました。「悠理さんね、僕たちは学友なんですよ」期の終わりにさしかかり、倍ほども歳の違う社会人の方から言われた言葉が印象に残っています。まさしく、そこに集った53人は「学友」でした。

私は「変わった」のではなく自分を「変えた」のです

3ケ月は、あまりに短い。しかし私の手元には、その一瞬の前には無かったものが、確かに残っています。最終発表を翌日に控えた夜のオフィスでのグループ会議中、キレて半泣きになりながら部屋を飛び出したことも、夜の公園での語り合いも、そうした思い出の数々。自分の試みとして始めた「対話録」は、ノート一冊がびっしり埋まりました。そしてもらった1枚の手紙(恥ずかしいので内容は言いません)…。  

この文の題は「福澤文明塾で自分が変わったこと」でした。少し、直さなければなりません。福澤文明塾を通じ、私は「変わった」のではなく自分を「変えた」のです。この自動詞と他動詞の違いに、私の誇りが詰まっています。それは私の努力の成果でもあるかも知れませんし、たまたま時期が重なっただけなのかも知れません。しかし、毛利庭園の横で途方に暮れていた独りの男が、心から人に「話を聞かせて下さい」と頭を下げられる様になった。この変化に福澤文明塾という場、そこでの3ケ月間、53人の学友が、極めて大きな役割を果たしてくれていたということは、疑い様のない事実なのです。

募集要項

※ 福澤文明塾生の所属は、原稿作成時のものです。

※ 講師のプロフィールは、プログラム開催当時のものです。

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